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プロフィール

あいうらひろし写真
相浦 裕 / あいうら ひろし

ヴィンテージの風合いで心癒されるオリジナル技法の水彩画を開発した。
ヴィンテージ水彩技法にて渋く黒い線をとり彩色する、独自のオリジナル技法で水彩画を創作。
小学生から高齢者の方々まですぐに素晴らしい水彩画が描ける「ヴィンテージ水彩画」技法。
このオリジナル技法過程は未発表。

大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。
日本電気デザインセンターを経て(有)湘南イラストレーション倶楽部設立。
国際花と緑の博覧会サントリー館大壁画 日本ディスプレイ協会奨励賞受賞、日本イラストレーションコンテスト特別賞受賞等、その他多数受賞歴を誇る。

(株)丹青社と業務提携締結。博物館等の仕事を多数制作した。
オリエンタルランド社よりオファーされ大手テーマパークを立ち上げ時より制作携わってきた。
その他広告、雑誌等々の制作多数。

実力派の作家で作品価値は高いものがある。 

カリフォルニア美術工芸大学デザイン学科交換留学後、日本デザイン専門学校、日本絵本造形専門学校、九州デザイナー学院の講師をした。

㈱湘南イラストレーション倶楽部代表取締役・イラストレーターとしても活躍した。
主に最大手テーマパーク・広告・出版・博物館・博覧会で発表されるイラストの総受注プロデュース活動、イラストレーターへ制作依頼、その総元締め役として活躍。


●美術デザイン賞歴 国際芸術文化振興会JACA。
日本イラストレーション展特別賞受賞。
国際芸術文化振興会に於いて買取り作品永久保存中。
講談社年鑑日本のイラストレーション入選掲載4回。ART KARAOKE絵画大賞 優秀賞。
国際花と緑の博覧会(花博)サントリー館巨大壁画フラワーウォール制作後、(高さ約15m×横約70m)国際花博サントリー館フラワーウォール巨大壁画CSデザイン賞銅賞受賞。
国際花博サントリー館フラワーウォール巨大壁画日本ディスプレイ協会特別奨励賞受賞
その他、複数のテーマパーク(ディズニーリゾート・ピューロランド)、
博物館、広告、雑誌の仕事の他に美術系仕事歴多数あり。
セブン&アイ・HLDGS数十点永久保存。個展歴:電通本社個展他多数あり。


●その他 賞歴 四季彩ペインティングコンテスト・オリジナル部門「グランプリ賞」受賞。
ペイントクラフト賞コンテスト・オリジナル部門「ネット人気大賞」受賞。
ピコットパケットコンテスト・オリジナル部門「銀賞」受賞。
ペイントクラフト賞コンテスト・オリジナル部門「バニーコルアート賞」受賞。

相浦裕個展歴

電通東京本社アドギャラリーにて花博大壁画個展。
東京ギャラリーウィズ招待個展―花博大壁画個展。
東京六本木ディスコ玉椿にて個展。
東京池袋西武ハビタにて個展。
電通東京本社アドギャラリー個展。
東京原宿パレフランスのグラフィックステーション個展。
東京銀座グラフィックギャラリーアートワークス展作品展示。
東京青山スパイラルアートワークスアート市作品展示。
東京銀座グラフィックギャラリーアートワークス作品展示。
東京渋谷パルコアーティストフリーマーケット作品展示。
東京銀座グラフィックギャラリーアートワークス作品展示。


※尚、
今回の 相浦裕ヴィンテージ水彩版画商店での作品販売価格はこれまでの作品価値の相当な額から
想定不可能な思い切った低価格設定にしています。

この後の値上げ設定前のこの機会に是非ともお求めになり
作品を手にとって初めてその価値を確認してください。
お求めになられた方には
日本イラストレーター協会の相浦裕グッズから1点無料プレゼントがあります。
きっと喜んで頂けると思います。

日本イラストレーター協会会員。
認定イラストレーター。

多種多様な画材の中から水彩絵具での表現を選択した理由

高校生時代と芸大生のはじめの頃は、最初ポスターカラー(不透明水性絵具)を使用していた。
その後、ガッシュ(耐水絵具)を使うようになった。
ガッシュなんて一歩先に進んだような気分だった。
それから芸大のイラストレーションゼミを専攻して、アクリル絵具を使うようになった。
これは水で溶かして乾燥すると耐水性になるという優れた特色を持つもの。
この時は時代の最先端の絵具を使っているようでそれだけでも自分はなんて芸術の先端を走っているのだろう、と訳の分からない勘違いな頭になっていた。
芸大生時代からアクリル絵具を長い間、使用し続けた。

長年、デザインや美術の経験の中で試行錯誤しながら考えた末、やっと「透明水彩絵具」という画材が一番自分に合う画材とわかった。自分でも遅かった感も否めないが、この画材は自由で楽しく、自分にこんなに合う画材があったことを知らなかったことが悔やまれる。

水彩絵具を選んだ具体的な理由はシンプル。
「透明水彩絵の具は色の重ね描きができて色の深みが出やすい。表現の幅が広い。
実際に絵を描くときに気軽な感覚で表現しやすい。絵を直感的に描きやすい。
従って風景画、静物画等々が気軽に描きやすい。描いた後の絵具の乾燥が早い。
(ドライヤーを使用するともっと早く乾燥できる) 何といっても絵具が安い。
(人により高く感じる場合あり)
後始末が早い=筆を水で洗いやすい。絵具を水で簡単に溶かすことができる。
服や机に絵具がついてもすぐふき取れる。
道具の移動に便利。風景画、静物画等々が気軽に描きやすい。

ほかの画材の欠点と比較でき俯瞰できるようになってはじめて透明水彩絵具の長所があまりに多い。
パソコンでの水彩画もあり、これも面白いと思うが、やはりアナログで手作業をして
人間の手で筆で紙の上に創作した透明水彩画には人間しかできない温かみと味があり深い表現ができる。
機械では上記のような手法等々は無理な部分がある。
ここまでのお話を聞いただけで水彩画に興味もつと思う。

私がはじめて透明水彩画を描こうとした時、どのように描くのか表現技法がまったくわからなかった。
恥ずかしい気持ちをひた隠しにし、ゼロからのスタートの気持ちをもって修行に出た。
勇気をふるって有名な水彩画家の先生達へ片っ端から手ほどきを受けに出向むいた。

腕のある水彩画家はどのように透明水彩画を描くのか興味津々でドキドキした。
私は まず最初に湘南地方と横浜でオーソドックスな手法の福井良祐先生に学んだ。
福井先生は白い画面に対してゆっくりと少しづつ薄く色をぬり始めた。
それは丁寧で誠実な人間性を感じた。お昼は横浜崎陽軒の弁当を先生と御一緒して、今後の目標を話したり楽しく透明水彩画を練習することができた。

次はプランタン銀座でお菓子をメインに描く林真理先生に学んだ。
モチーフは毎回違うケーキをひとりに対して一個づつ林先生が準備して頂いた。
その購入して頂いたケーキを見ながらデッサンし着彩していた。
そして描き終えると自分で描いた絵を見ながらコーヒーとケーキを食べた。
この透明水彩画の練習は面白いなと強く感心した。
完成した後のケーキは普段のケーキより2倍くらいにすごく美味しかった。

王軍先生の自宅教室に伺うと、中国の王軍先生は体を動かし踊っているように描く。
筆が踊っているかのように見えた。それほどリズミカルで楽しく描いていた。
自分を信頼しているからこそできる自信のある強い筆さばきを感じた。
透明水彩画は水彩紙へ水をたっぷり塗るが王軍先生は机の上にまで水を画用紙の範囲にたっぷりぬる。
これはびっくり仰天するほどのことでした。
この手法は誰もやっていないことなのでとにかく驚いた。完成した絵はそんな中国の水墨画の要素が入った、風景の中に空気感を感じる透明水彩画ならではの深く落ち着いた奥行のある表現だった。

長髪姿の玉神輝美先生はお父様が映画看板を描く仕事をしておられた。
幼いころから大きな看板の絵を描くお父様の姿を見て育った。
ひかりと影を表現したイラストレーションの要素も感じるテクニックを玉神先生から学んだ。

一番強い印象が残った先生。
女子美術大学の講師であり日本では実力もあり有名な小野月夜先生から学んだ。
小野月夜先生は実習授業のはじめの30分~40分を、当日花屋さんから持ち込んだ生花(色とりどりのバラが多い)をモチーフして自分自ら絵を描いて、その描き方ポイントを教え解説しながら筆を動かす、大胆な筆さばきでありながら本物の腕前を私に見せつけた。
本当の実力者でないとできない技を拝見させて頂いた。

小野月夜先生の透明水彩画は色彩も鮮やかで形もしっかりしたデッサン。
下描きの線は描かない。本番一発即筆に透明水彩絵具をつけてバサバサどんどん描き進めていく。
それはそれはスゴイのひとこと。筆さばきは魔法のように感じた為、「先生の筆さばき魔法の筆みたいですね」って私が言うと先生は「ハハッ」と笑って「私は絵描きだから。。」とおっしゃった。

そのひとことに自分の頭は「ガーン」となり響いた。
「本当にかっこいいな。」と思った。
それは当然のセルフではあるが、なかなかほとんどのプロでも言える言葉ではない。
毎回毎回実技授業はじまりに小野先生はデモンストレーションしていただけるという夢のような楽しい時間。
本当に素晴らしく本物だなと感動するくらいの実力者でした。
本当に好きな先生だったから離れるのが辛かった。

全部で透明水彩画家9人の先生から学んだ。
それぞれの先生でその方独自しか学べないことがあった。
共通することは透明水彩画を描いているときは楽しくて幸せなときだった。
その中で透明水彩画が自分なりに理解することができるようになった。
それぞれ9人の先生の透明水彩画に対しての考え方を話すと長くなるのでので割愛するが、同じ画材でありながら個人技法手法・表現の多様性・道具とか筆の在り方・使い方がちがった。
具体的には個人個人の先生によってまったく違うことが明確に判明した。

たとえば絵具ひとつとってもあるA先生=絵具はあるメーカーの固形絵具が良いという、B先生=あるメーカーのチューブ入り絵具が良いという。
これは全先生が絵具、水彩用紙、筆、付随する道具類すべてにおいてまったく違う品物を指定したり教えていた。
・・・ということは 結論として 先生によって、それぞれ全く異なる画材と手法で制作していることがわかり、今度は自分が透明水彩画を描くときは自分なりの透明水彩画に対しての考え方、技法の違い、表現方法はあってもいいということがわかった。

自分のオリジナリティーは、まさにあって当たり前ということがわかった。

有名な先生達の教室で共に学んだ生徒の声でたびたび耳にしたことがあった。
「自分はデッサンもいくら練習してもたかが知れている。そんなにうまくはなれない。でも上手な絵を描きたい。」とおっしゃった。           
ずいぶん欲張りな希望をおっしゃるなと思ったが、気持ちはすごくよくわかった。 
そう!これが正解であるということがわかった。

私のヴィンテージ水彩画法は今まで学んだことの結果としての正解を具体的に実現した手法。
この希望を叶えられるためのオリジナル技法開発。           
小学生から高齢者の方々まですぐに素晴らしい水彩画が描ける「ヴィンテージ水彩画」技法。
このオリジナル技法過程は未発表。

相浦 裕の出身地からのお話

長崎県佐世保市出身。

アメリカ軍基地の町、空母とか駆逐艦の細部まで祖母と見学した。
そして自衛隊がある町、佐世保重工業SSK、ハウステンボス、
九十九島西海国立公園では赤い夕陽が最高に美しい風景。
幼いころから山(弓張岳)や海(九十九島)で遊び学校をサボり、自然や動物たちと触れあうのが大好きだった。

小学1年生の時、全国小学生スケッチ大会で最優秀賞を受賞して、小学校の全児童集合の朝礼式で校長先生から賞状以外にたくさんの画材を、小学1年生の体では持ち帰れないほどいただいた。スターになったようだった。

中学の夏休みはマッチの棒だけを使い五重ノ塔を制作。
毎年、夏休みはマッチ棒でお城を作っていた。
それが同級生と校長先生にまで褒めまくられた。

そこから自分の中の美術工作のスイッチがONされた。
高校3年生までコンクールとか美術県展で毎年いくつもの受賞をした。
いつのまにか自分は本当に絵が好きだと気がついた。

高校卒業して東京へ出発する朝、佐世保市福田町の実家の前の長い長い階段の上で、自分の姿が見えなくなるまで母は笑顔で手を振っていたことが昨日のことのように瞼に残る。
今思えばあれが母との正式な最後の別れのような気がする。
もちろん帰省して実家へ戻る日も数年後はあったが、お互いに遠く離れ離れの生活の始まりという意味での最後の別れだった。

大阪芸術大学を卒業して、日本デザイン専門学校の講師になった。
その当時は先生という職業に物足りなさを感じていた。
世の中でもっとも難しい仕事であるイラストレーターになりたいという欲望が強くあった。
そのためには有名な人について修行しようと思い立った。

人気イラストレーター滝野晴夫さんの事務所へ短期間出入りさせて頂き修行した。
あと、現代美術家で現在東京芸大学長の日比野克彦氏の、原宿でのアートパフォーマンス活動にもお手伝いさせて頂き恐縮した。

イラストレーション全盛期に、渋谷パルコの壁画をよく描いてテレビドラマでも放送された。
パルコ横教会壁画をパルコ事務局の紹介で、アーティスト福田繁雄さんに私のアイディアのピカソ横顔を、歩く人にだけ正面から見えるように不思議絵原画を制作依頼した。
相浦がその壁画を描いたものが放送された。
その後、日本テレビ矢追純一氏のUFO特番の想像の絵はすべて私が描いた。
以上、光栄で貴重な経験をした。

その後、乃村工藝術社へ営業したのがきっかけで国際花と緑の博覧会サントリー館に、世界一のステンドグラス様式の大壁画を制作するプレゼンテーション候補として出品したいとの話があった。
それは有名画家とか有名イラストレーターでも、一生のうち一度もあり得ないようなでかい仕事のプレゼンテーションだった。
これは全国から電通、博報堂、日本デザインセンター、乃村工藝社、丹青社、その他有名デザイン事務所が競ったプレゼンテーションだった。
結論から話すと、相浦裕のプレゼンテーションが乃村工藝社を通じて白羽の矢が立ったのだ。

奇跡の瞬間だった。

国際博覧会で、芸術作品として大きな仕事をした人は岡本太郎だ。
岡本太郎のその偉大さは自分とはまったく比較にはならないが、それだけ類まれな国際博という世界的に大きな大きな壁画制作であったということだ。
このプレゼンテーションに競り勝ち、2年間かかりこの壁画の原画制作を続けてようやく原画完成した。ギャラも相当なものがあった。

NHKがドキュメンタリー方式で相浦裕の花博サントリー館大壁画を放送するため、取材させてほしいとの正式オファー通知があった。
そのNHK取材前に母が亡くなった。

自分にとってはあまりに衝撃的なことだった。
母には本当に世話になった。高校時代、帰宅するとよく母と雑談をした。
テレビを見て悲しいニュースやドラマにすぐ反応して母は涙を流していた。
ここでは語り切れない話もある。本当にお世話になった。私は母に何もできなかった。
いつもこころにたくさんの「ごめんね」という気持ちがある。

故郷を離れて頑張ってきた成果を母に見せたかった。
母のために花博大壁画制作をがんばってきたのに。
自分の人生の中で最もたくさんの想いが真っ白になった瞼の裏に走馬燈のように巡り、母の佐世保の風景が、ぼんやりぼやけて見えなくなるほど頬がぬれた。

大阪花博会場での壁画は、サントリー館フラワーウォールと名付けられ、その現物完成後あらためて眺めた時は鳥肌が立った。
言葉で言い表すことができないほど感動、感激した。
一生涯で最も喜ばしいときでもあり、母に見せたかったという悲痛で悔しい気持ちばかりだった。 

花博閉会後も電通ギャラリーでフラワーウォール大壁画原画展を開催いただいた。
銀座デパート主催ウイズギャラリーでも開催していただいた。
また都内各地のデパートでも同じ大壁画原画展を開催していただいた。

これを契機に湘南イラストレーション倶楽部を旗揚げし、イラストレーションの制作・プロデュース活動をしてきた。
㈱丹青社さんと業務提携契約を締結し博物館・資料館の仕事ができて、本当に幸せだったと母に報告したかった。

(主にディズニー・オリエンタルランド社・サンリオピューロランドサインデザインの仕事をして楽しかった。それ相当のギャラもあり驚いた。本当に心よりありがとうございました。)

相浦裕が描く 絵の価値

その根源はコンテストでのグランプリ受賞他多数の各種コンテスト受賞歴がある。
そして絵の本質的価値が構築されてきたのは彼のプロフィールの中に蓄積されている。

その中でも決定的には国際博覧会のサントリー館大壁画フラワーフォールが、現在迄の相浦裕作品の価値を社会的にも裏付けるものとなった。
一般的には原画に価値を見出そうとするが、過去の数々の有名な版画家でも複製版を刷って販売したように、価値の高い高級美術版画ジークレーは近代版画の先端に光輝く。
その価値が作品にさらなる価値を積み上げる。
作品価値はそれらすべてを総合的に鑑みて位置づけている。

「一枚の絵を描く」ということ。

たった一枚の絵にはその人間の深く重い歴史がある。
素人から見ると簡単に描いたようでも深い人生がある。
その人の「絵を描きたい」という誕生は生まれつき絵が好きか否か、それから高校卒業後は美術系学校を目指せるか否かが大きく人生の岐路に立つことになる。

その後、美術系学校を卒業して人生最後まで自分自身の夢を追うことができる人は富士山の一角にもないくらいほぼ夢を追う人は極稀な貴重な人だ。
ほぼ芸術系とはまったく違う仕事をしている人ばかり。

相浦裕の場合は、佐世保の高校時代は阿佐ヶ谷美術学院へ夏季講習会(デザイン·デッサン実技講習)へ通った。
佐世保駅から寝台車へ乗り東京へ行くとき、故郷を離れる悲しさと夢に向かうふたりの自分がいた。

そして浪人して御茶ノ水美術学院へデザイン·デッサン実技講習へ通った。
その後、大阪芸大·デザイン科でカリフォルニア美術工芸大学へ交換留学をした。
卒業後は日本電気デザインセンターを経て(有)湘南イラストレーション倶楽部を設立。
そして彼の代表作の国際博覧会サントリー館大壁画の依頼を受けた。
その後の仕事は長くなる為、省略して相浦裕の現在があります。

「一枚の絵を描くということは大変なこと。」

概略しか言えないが、絵を描くはじめのスタートはスケッチ。
そのような時間はない―どうするか、写真でスケッチするしかない。
写真はカメラが必要。カメラもピンキリで上には上がある。費用が必要になる。
描きたい対象物、モチーフを何にするのかが非常に重要になる。
作家によっては外国にモチーフや風景、静物を探しに旅へ出る。
時間とたくさんの費用がかかる。

外国でも国内でもこの時点で実行できない人々も多いと思う。
自分の描きたい理想のモチーフを発見できた人は良いが見つけられない作家も多い。
だから外国で見つけられて納得のいく表現ができれば理想的だが、ほとんどそんな人はいない。国内でも同じこと。
だから納得いく表現できた作家が稀に目立つ。

描きたいモチーフが発見されてもまだまだやることがある。
次にモチーフを絵に表現する順番がきた。
この絵にするときが一番神経をすり減らす勝負時だ。そこは長くなるので省略する。
絵が完成されてはじめてジークレー版画(近代美術版画先端版画技法)工房会社へ絵を持ち込む。完成後、額縁会社へ額の中のマットと額を合わせる作業をする。
完成するとお客様へ送料無料の手続きをする。
美術ファンの方へ喜んで頂くためのややボランティア活動に少し似ている。

こんなに苦労しても結論から先に言えばHPの表示価格では正直なところ儲けは少ない。
原画を完成後その次にジークレー版画を刷る工程がある。
表示価格の内訳はジークレー版画の版刷り代金が大きく全体の3割を占める。
完成後、額縁会社へ額の中のマットと額を合わせる作業をする。
ここまでが全体の2割かかる。工程作業代金はすべて作家が前払いする。
その後お客様宅への送料も当方で負担するため全体の5割以上の作家負担になる。

絵の価値はこのように美術系学校時代から遡り積み重ね研鑽して絵の価値も決まっていく。
近い将来彼の作品価値は次第に上がると予想する為、今が「買い」をお勧めする。

ジークレー版画について

ジクレーはGicleeと書く。フランス語。

 近年、最も原画に忠実な表現ができる版画技法としてかなり注目され使用されています。

 1980年代、ジクレーは、アメリカのHP社がいち早く開発に着手。ジークレー、ジクレとも呼ぶ。

 商標登録されている言葉ではないので、アートの分野ではデジタルの版を使う新たな版画の種類としてジクレーという言葉は広く使用されています。

 単に原画を複製するのではなく、作家の指示により原画を基に新たな表現効果を試みることで、オリジナル性を高めることもできます。 Photoshopなどのペイントソフトがその道具となります。

もちろんオフセット印刷とは、まったく異なるので網点もありません。

現在の版画技法としては多くのクリエイターに信用·信頼されています。

【ジークレー版画の耐光性、耐水性について】
耐光性を重視して、変色が早い染料インクは一切使用していません。

 特に高価値の美術品となりうるアートの世界では重視しなければなりません。

現在の標準では耐光性、耐水性75年~80年と言われています。

 業界で言われている耐光性テストとは、温度:24度 湿度:60% 標準的な屋内照明(450lux×12時間を1日の照射量とする)下で明らかな褪色(20%ほど)が見られるまでの年数を予測します。 

耐光性は使用·環境条件(温度、湿度の他、光線や大気中の成分など)によって異なって来るので絶対ではありません。 紙の表だけでなく裏側からも影響されます。リトグラフでは環境によっては10年ほどで明白な退色が現れることもありますので、ジークレーはむしろ耐光性では優れています。

 さらに顔料インクを使用していますので、水をかけてもにじむことはありません。

ジークレー版画は現代版画印刷では高価値美術品と言えます。

相浦裕ヴィンテージ水彩画の「コンセプト」

コンセプトの根底のひとつには生まれた佐世保がある。

小学生の頃、家の裏山から観光地「弓張岳」という

九十九島西海国立公園が一望できる展望台までよく山登りした。

海は鹿子前ヨットハーバーへ行った。
水族館があってその近くに観光船が停泊するところまで行くのが楽しかった。

家の周りには四季折々の花がいつもたくさん咲いていた。

周りの環境から自然(海·山·花)が大好きだった。


大阪芸大の頃、ロサンゼルスのディズニーランドへ行き

人生観が変わるほど衝撃を受けた。

世界にはこんなに楽しい場所があるのか。

「ディズニーの仕事をしたい」と思った。

強く願ったおかげでその後いつの間にか

夢が叶ってディズニーの仕事もしてきた。


相浦裕の絵のコンセプトのはじまりには

佐世保の海や山·そして家の周りの花の影響がある。

好きな海。好きな山。好きな花。そして好きなディズニーの仕事。

好きなものを絵にしたい。そんな思いで表現している。


現在居住している湘南は大阪芸大卒業し東京へ出てきて2番目の故郷。

過去に日本一周して日本のどこが自分自身に合っているか、

一生を終える場所に相応しいのはどこか探しながら日本一周した。

日本はたくさん素晴らしい地域が多いが、

自分にとって合う場所はここ「湘南」だった。


湘南地域は日本一遊び心が断トツ溢れている。

いつもサーファーや車、家並みを見るたびに遊び心に感心する。

生活自体も日本の中では珍しい開放的雰囲気と豊かさで溢れている。

住んでいるみなさんが笑顔で元気いっぱい。人もあたたかい。

江の島は宝探しの遠い島に来たみたいだし、鎌倉と小田原は歴史に深い所。

伊豆半島は観光列車が楽しい。美しく大きく見える富士山。

湘南から東京駅は日帰りで充分遊べる心地よい距離感。

こんな美しい場所をモチーフにしないのはおかしいくらい素敵。

この町にいると一生の時間が短すぎる、長生きしてここでもっと

楽しみたいと思わせる素晴らしいところ。

好きな海。好きな山。好きな花。

一生の大好きなモチーフがここで見つかった。

絵の奥に自分のこころ、精神、魂を表現したい。

相浦裕作品ご購入の方限定

プレゼント企画

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